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第134回 2020.2.22

  • 中原真祐子「「私」はどうして自由なのか-ベルクソンの自由の条件を考える」

  • ​冨岡薫「ケアの倫理における「依存」概念とそれに基づく展開可能性」(仮)

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第133回 2019.12.14

  • 高井寛「存在できることの行為論――ハイデガー行為論を理解する」

  • ​栁田詩織「シラーによるカント倫理学批判再考」

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第132回 2019.11.30

  • 池松辰男「ヘーゲルにおける「善」およびその関連概念の諸相」

  • ​林果穂「カントにおける倫理的行為と象徴作用の検討」

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第131回 2019.08.25

  • 【特別企画】荒谷大輔著『ラカンの哲学 哲学の実践としての精神分析』合評会

【コメンテーター】原和之、山本耕一 【応答】荒谷大輔(著者)

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第130回 2019.06.29

  • 中原真祐子「ベルクソンの「自由行為」を拾い直してみる」

  • 大澤真生「「理解」の構造――レーヴィットの共同相互存在論」

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第129回 2019.03.30

  • 石井雅巳「レヴィナスにおける倫理の時間性について」

  • 佐藤香織「レヴィナスにおけるア・プリオリ概念――デュフレンヌ『ア・プリオリと主観性』の読解から

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第128回 2019.02.23

  • 橋爪大輝「アーレントの行為(活動)概念をどう解釈すべきか

  • 栁田詩織「カントにおける心術の問題」(仮)

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第127回 2018.12.15

  • 高井寛「死はなぜ私たちを恐れさせるのか――ハイデガー『存在と時間』が与える視座――

  • 山野弘樹「現象学的解釈学の系譜——リクール『生きた隠喩』を中心に」

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第126回 2018.11.18

  • 屋良 朝彦「多声性と祝祭性、ミメーシス:精神障碍者との対話のための哲学的考察

  • 城戸 淳「遺稿の第三アンチノミー解決 ── カントの自由論への補助線として」

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第125回 2018.08.25[※日程が変更されました]

  • 林 果穂「自由な行為による神の国への漸近――カント『宗教論』第三編の検討」

  • ​佐々木雄大「バタイユにおけるエコノミー論の生成」

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第124回 2018.06.02

  • 中原真祐子「自我は何からできているのか:ベルクソンにおける精神のなりたち」(仮)

  • ​三重野清顕「シェリングとヘーゲルの差異の検討」

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第123回 2018.02.24

​シンポジウム 物語論の諸相

提題者:小泉圭徳、橋爪大輝、長門裕介

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第122回 2017.12.09

  • 池松 辰男「ヘーゲルの衝動理論再考へ向けて」

  • ワークショップ「「資本主義の精神」とは何か?」

モデレーション:荒谷大輔

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第121回 2017.10.28

  • 大澤 真生「レーヴィットの『共同存在の現象学』における自己了解の問題 」

  • 田島 卓「エレミヤ書「新しい契約」における赦しの問題」

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