第132回
2019.11.30
13:30~17:00
第一部 構想発表
池松 辰男
ヘーゲルにおける「善」およびその関連概念の諸相
ヘーゲルの『法の哲学』の第二部(道徳)から第三部(人倫)への移行において、「人倫」のありかたは、その純粋な主観性ゆえに善にも悪にも跳躍しうるような「良心」のありかたを超克した地点で、「生ける善」として存在する限りでの「自由の理念」として示されている。――このように事柄全体の転換点に配置されているにもかかわらず、ここで「善Gut」ということでヘーゲルが具体的にどのような事柄を想定していたか(たとえば「生ける善」は人倫の内部で具体的にはどのように「生ける」ものとして実現しているのか)については、それと関連概念(たとえばヘーゲルの実践哲学内部で繰り返し登場する「利福Wohl」「幸福Glückseligkeit」)との関係ともども、いまなお曖昧さがつきまとっている。
そのうえこの問題は、たんにヘーゲルのテクスト内部の解釈で終始するものではない。そこにはむしろ、(あくまで「道徳」を体系の一部に含む限りでの)ヘーゲルの実践哲学そのものをどう受け止め直し、思想史的な対話のうちに架橋するかという、より広範な課題にもそのままつながるような射程が孕まれているのではないだろうか。実際、或る種の教科書的な倫理学史の解説において、ヘーゲル固有の実践哲学の理論は、いわゆる義務論と功利主義の狭間にあって、ややもすると浮きがちであった。その理由の一つは、当のヘーゲル自身のもちいる概念の内実が、他の領域との間で未だ十分に架橋されていないという点にあるように思われるのである。
本構想発表においては、(しばしば『法の哲学』のテクスト単体で論じられがちであった)ヘーゲルの「善」およびその関連概念の諸相について、『エンチュクロペディ』の「精神哲学」を始めとする複数のテクストを関連づけつつ、いわば立体的な再構成とパラフレーズを試みたい。
【参考文献】
-
ヘーゲル『法の哲学』(全2巻、岩波書店)
-
ヘーゲル『精神哲学』(全2巻、岩波文庫)
第二部 発 表
林 果穂
カントにおける倫理的行為と象徴作用の検討
カントにおいて、象徴とは、類比という手法で超感性的理念に直観を与える作用である。理念に適合する直観は決して与えられない。認識には直観が必要であるから、我々は理念を認識することができない。象徴作用によって与えられた直観と当の理念は、判断力が行う反省の形式という点でのみ一致する。
超感性的理念である道徳的善については、『判断力批判』第59節「道徳の象徴としての美について」において、美がその象徴であると述べられる。
本発表では、まず、同節を中心に象徴のはたらきを整理し、倫理的行為に際して象徴が果たす役割をまとめる。その後、道徳法則の適用という場面で、超感性的な神の国の直観が「象徴として役立つ」という『実践理性批判』の記述の内実を検討する。
【参考文献】
-
カント『判断力批判』、『実践理性批判』他