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第122回

2017.12.09

13:30~17:00

第一部 構想発表
 池松 辰男
 ヘーゲルの衝動理論再考へ向けて

 目的については中立を貫き自らはその目的のための稀少な手段の節約のみを問題とするという言説は、経済学における標準的自己理解の一つとして、いまなおしばしば参照されるところである。だがそこにはあらかじめ、「人間の欲求と必要が無限である」という、思想史的に見て少なくとも必ずしも中立とは言い難い前提が含まれている(K・ポランニー『人間の経済』)。この前提を巡る議論の先例そのものには前世紀以来の多くの蓄積があるけれども、この前提それ自体が担う意義を思想史上に最初に包括的・明示的に提示したのは、やはりヘーゲルではないかと思われる。ヘーゲルにおいて周知の「欲求の体系」が正当化されるのは、その内部で相互承認が成り立つ限りでだが、まさにこの相互承認との関係ゆえに、体系内部の欲求は不断に拡張・多様化してゆかざるをえないという傾向を持つことになる。この無限に増大する欲求の体系の問題こそは、ところで、ヘーゲルが見る限りの近代市民社会の問題の端緒なのである。
 とはいえ現状、かくしていまなお繰り返し丁寧な検証を必要とするはずのヘーゲルの所論には、その基本概念(Trieb, Begierde, Bedürfnis等)の水準からしていくつか未解決の課題が残されていると思われる。とりわけ、こうした概念が示される文脈が様々な箇所に分散してしまっているために、全体の連関への理解が得にくいきらいがあることは、無視できない。本発表はこの課題に対し、最近ようやく資料が充実した『エンチュクロペディ』「精神哲学」「主観的精神」の「実践的精神」の部分を取り上げ、そこに示されている「衝動」「関心」といったいくつかの概念の連関、すなわち市民社会を含む「人倫」における主体の実践の基本前提を整理する。それをもって、ヘーゲルにおける衝動理論一般の検討への序説とし、また上記の問題意識へ応答する一つのきっかけとしたいと思う。 


【参考文献】

  • ヘーゲル『エンチュクロペディ』(邦訳:『精神哲学』船山信一訳、岩波文庫etc.)

  • ヘーゲル『法の哲学』(邦訳:『法の哲学』上妻精他訳、岩波書店etc.)

第二部 ワークショップ
 モデレーション:荒谷 大輔
 「資本主義の精神」とは何か?

 ボルタンスキー/シャペロは『資本主義の新たな精神』において、資本主義のシステムを批判者を取り込むかたちで内実を変えながら存続し続ける構造として示している。マックス・ウェーバーによって指摘された「プロテスタンティズムの精神」は、マルクス主義を内在化させた企業の福祉化(すなわち、企業を「家」とした救済のかたち)を経て、1968年5月の「革命家」を担い手とした、構造改革とプロジェクト・マネージメント・システムによる労働の自由化の体制へ至る。資本主義を牽引する直接的な動機づけの構造は様々であっても「3つの正当化の柱(物質的進歩、欲望の充足に関する効果と効率性、経済的自由に適した社会組織)」が資本主義システムの存続を支え続けるとボルタンスキー/シャペロはいうのである。
 だが、その資本主義のシステムは、どのような思想的基盤によって成立しているのだろうか。本ワークショップでは資本主義の存続を支える要素として、おおよそ上の3つの柱に対応するかたちで「個人主義の徹底とその紐帯の形成」「手段の目的化」「欲望への準拠」を挙げ、その歴史的な発展形態を辿りながら、思想史上における「資本主義」のあり方を問い直してみたい。当日はモデレーターがそれぞれの論点に対していくつかのテクスト(オリーヴィ、ルター、ケイムズ、アダム・スミス、ベンサム、ミル等)を挙げながら議論のたたき台を示し、フロアとの自由な議論に開いていくことを予定している。

※今回の例会は、科研費基盤研究(B)「家族・経済・超越:近現代日本の文脈からみた共同体論の倫理学的再検討」との共催企画になります。(研究課題番号:17H02260)

【日時】
2017.12.09(土)
13:30~17:00

【場所】
東京大学本郷キャンパス
法文一号館115教室


 

※参加無料
※皆様ご自由にご参加ください。

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