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荒谷 大輔
 

「認識論と存在論の交錯~ベルクソンのイマージュ概念をめぐって」

 J.F.フェリアが『形而上学要綱』で区別したように、哲学の問題設定は「何が知られるのか、知ることとは何か」を問う認識論と「何が存在するか」を問う存在論とに分かれ、この二つの問いの軸は通常交わることのないものとされる。しかしながら、両者は互いを批判する関係にありながら、なお共に十分ではないように思われる。経験主義以降の認識批判において、存在を認識とは独立したものと考える存在論は、形而上学的な独断として退けられることになるわけであるが、他方の認識論も、認識者自身の「存在」の根拠を問えないという点で最終的に存在論を呼びこむことを許してしまう。本発表は、こうした両者のアポリアを総合的に乗り越える視座を、ベルクソンのイマージュ論に見出そうとするものとなる。

第1回                       2002.12.14

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